土佐光起の「本朝画法大伝」研究を5名限定でやってみたい。

至高の気品 ――土佐光起撰『本朝画法大伝』の意義、そして意図するもの以下は
小野真由美(東京文化財研究所)よりの引用です
東京藝術大学所蔵『本朝画法大伝』(以下、『大伝』とする)は、序文に「土佐正六位上左近衛将監藤光起撰」とあり、土佐光起(1617~91)が元禄 3 年(1690)に著した画法書として知られる。文政 5 年(1822)の写本であるが、現存する唯一の伝本として貴重である。
『大伝』を世に知らしめたのは坂崎坦著『日本画の精神』であった。坂崎氏は『大伝』を狩野安信の『画道要訣』とともに、日本画の精神たる「至高の気品」を伝える画法書として高く評価した。一方当時、光起はすでに従五位下であったことなどから、『大伝』の成立年や著者については否定的な意見も出されてきた。たとえば畑麗氏は『大伝』にある「画史」は元禄 5 年(1692)刊行の『本朝画史』であるとし、文中の西川派、鳥居派の活躍期とも合致しないとして、類似の記述をもつ林守篤編『画筌』(享保 6 年〔1721〕刊)こそ、先行する画法書であるとした。また寺本健三氏は、『大伝』を「偽撰」として、『画筌』の優位性を論じている。本発表は、以上のような研究をふまえつつ、より『大伝』を深く読み解き、その成立の意義や意図を考察するものであ
る。
まず、『大伝』『画筌』の多くの部分が中国の画論からの引用であり、当時のクリシェであることを確認し、「画史」とは、広義の画史・画論を意味するであろうことをみていきたい。さらに、寺本氏が強調する『古今和漢万宝全書』(元禄 7 年〔1694〕)の引用部分は、じつは『妙錦萬寶全書』(萬歴 〔1612〕)からのものであることを指摘することで、成立年への疑義をただしたい。そして、『大伝』の伝える実践的な画法の記述を土佐派や狩野派の実作例と比較し、その具体性と妥当性を検証したい。
以上によって、『大伝』が序文に記されるとおり光起が著した土佐家正系の秘伝書であり、やまと絵の当時の技法を知る上で貴重な画法書であることが改めて確認されるとともに、その執筆の意図は、光起が当時の画壇へ鋭く反応したものであると考えることができる。元禄3年頃は、住吉家の台頭がめざましく、狩野家も身分制度上において「御絵師」の地位を確立した時期であった。これらを背景として、光起は秘技を一書にまとめ、さらに「画の要は軽の一字に止(とどまる)のみ」としたのだろう。
極彩色においても軽の意(こころ)を忘れてはならず、彩色は軽くなければ卑しくなると戒めている。古画はみな淡いのを旨としており、省(やつ)すことが肝要であると説く光起は、かれが継承した土佐家の伝統のなかから、軽やかで高貴なる道を選びとったといえよう。光起の作例には、この理念が貫かれているのがみてとれる。『大伝』で伝えられた理念こそが、近世やまと絵開花の土壌となったことは否定できないといえよう。